![フェルメール 技法書 DVD巨匠たちの技法シリーズ[フェルメール・レースを編む女]ルーブル美術館](http://tawarayakobo.com/cp-bin/wordpress5/wp-content/uploads/2022/10/www.agrjiej6565111-03-1-1024x573.jpg)
博物館で国宝絵画を手掛けてきた絵師が油彩画の画材と技法をご案内します
このページでは奈良俵屋工房の高橋亮馬が、絵の現場を通して画材と技法について解説します。表題としては、とても広範囲で奥深いものがありますが、初心者の方や描かないけど絵を見るのが好き、という方々を念頭にご案内さて頂きますが、話の流れによっては、専門家の方々にもあまりなじみのない絵画の裏側や、お役に立てるような話も出てくるかもしれませんので、どうぞよろしくお願い致します。
なお、ご不明な点やご質問につきましては、絵師の随筆集(blog)の方も、ご参考にして頂ければと思います。コメント欄などでのご質問も可能な限りご返答させて頂きますのでご利用ください。
それでは、高橋亮馬が油彩画の世界をご案内させて頂きます。
油彩画技法の源流と歴史
先ずは油彩画の歴史について各時代と地域から解説して参ります。範囲的には地球規模~西洋~日本へと参ります。
古い時代の絵といえばアルタミラやラスコーの壁画があります。二万年ほど前からするとだいぶ後になりますが、日本では古墳時代の壁画や飛鳥時代の玉虫厨子に描かれた絵があります。色の基になる顔料としては、世界最古の人工顔料と言われる紀元前3000年頃のエジプシャンブルーが誕生する前までの絵画には、自然に産する石や土、炭などが使われ、色的には世界共通の天然系の顔料が使われていました。

その後、様々な絵の描き方=技法が生まれました。例えば、西洋のフレスコ画・テンペラ画・油彩画・水彩画。日本の漆絵・密陀絵・水墨画・浮世絵などがありますが、これらの技法の分類は、色の基となる「顔料」と絵具にする「結合剤」との組合せによるものです。フレスコは少し特殊ですが、その他の技法は「顔料」+「油・卵・膠・漆など」液状のもので練った絵具を使います。絵具というよりもスティック状のクレヨンは⁈、「顔料」と「蝋や油」です。
奈良俵屋工房では、油彩画技法を中心にした材料を製造したり描いたりしていますが、日本では、油彩画というよりも「油絵」の方が一般的な呼び方かもしれません。その他「洋画」とも呼ばれていますが、私は講習会でも普段の会話でも「洋画」とは決して呼びません。良く言えば、こだわり。悪く言えば、ひねくれているということかもしれません。理由は簡単です。この後に弁明させて頂きます。
前述の技法の分類ですが、油彩画は「顔料と油」によるもの。との認識が一般的であり実際に油彩画のベテランの方々も「それ以外に何かあるの⁈」だと思いますが、その時点で、すでに間違った認識です。そして、その間違いは、今に始まったことではなくイタリアのルネサンスの時代から始まっていたのです。

油彩画技法の源流となる漆技法
「ならば油彩画は何で出来ているのか」ですね。
正しくは「顔料」と「天然樹脂+バルサムと(油)」です。
とはいえ、この組み合わせによる技法は、油彩画が確立された15世紀よりも遥か7-8世紀も前に日本に存在していたのです。漆技法の中に「顔料と油」による絵具で描くやり方があったのか、それとも「荏胡麻油」と「顔料」による密陀絵を併用していたか、各専門家が分担してやっていたのか・・どちらとも間違えではないと思います。これが私が「洋画」とか「洋画の技法」と呼ばない理由です。
油彩画の源流
ヨーロッパの北の方のオランダやベルギーをイメージしてください。ルーベンスのフランダースの犬などでも有名な地域。このあたりはフランドルやネーデルランドとも呼ばれていますが、油彩画技法の発祥地・源流もこのへんです。
油彩画技法が、どのような経緯やきっかけで生まれたかについては、未だ解明されていない。と言われていますが、私は、知っている人は知っていると思っています。
油彩画が編み出される少し前の時代に、修道士のティオフィウスと言う人がいて、書き残された記録によれば、東洋から持ち帰った景徳鎮や漆の食器を知人の画家に見せながら「東洋には食器にもなる絵の技法がありますよ。樹液を使っているらしいですよ」と伝えたそうです。
ここからは小学生の頃から一貫して変わっていない私の説です・・
①「日本から帰った修道士から日本の漆技法を教えてもらった絵師が、漆に代わる樹液を北フランスの林(ストラスブルグ)に見つけて、これを暖炉近くに置いておいたら、一部が揮発してターペンタイン(揮発油のテレピン)が得られた」
②「この揮発油を絵具に希釈して粘性を調節することが出来たので、細密描写を可能にしただけでなく乾燥速度も早めた。さらには筆を洗うことも出来た」
③ターペンタインの原料は松脂(バルサム)、いわゆる、漆と同じ樹液なので、塗膜も丈夫になるし、黄変も殆どしない。という、極めて優れた技法上の成分。
*樹脂(Gum)も松脂(Balsam)も原料は「樹液」です。油彩画に使われる樹脂のマスチックやコーパルは、その樹液が硬化か半化石化したもので、松脂は、濃い蜂蜜のような液状のものを使います。タイヤのように柔軟性があって丈夫なゴムも仲間です。その一方で合成樹脂がありますが「安定した品質で使いやすく価格も手ごろ」これで迷うことなく使うと決められれば良いのですが、化学合成糊が出来てから半世紀くらいでしょうか。この先、どうなるかは、実は製造メーカーも分かっていないのです。実際に国宝絵画の修復に使われた合成糊が白濁~黴化した事故もありました。私が中学生の時に国宝を扱う表具師の叔父に「化学糊は使わないのか」と聞くと「若い人たちは使っているけど、私は百年後の様子を見てから決めるよ」その時の叔父は80歳を超えていましたから「一生使わない~使えない」との返答と判断しました。
古い時代からの絵の材料からは、その不変性と堅牢性を確認することが出来ます。私がそういった材料を使っているのは、こだわりとかほかの人と違うことをしたいとか・・ではなく、先達からの技術や材料の良いところを真似しているだけです。

ストライブルグターペンタイン


木箱入りはバイオリン用のワニス

また話が飛びますが、油と顔料による絵は、古代末期(古墳時代の頃)エジプトの棺などにも使われていたとのことですが、当時の記録によると・・
①なかなか乾かないのでホコリがつきやすい
②粘性が強いので柔らかい筆は使えないし、細かい作業もしにくい
実際に顔料を乾性油だけで練り棒で練ると、10Kgくらいのパレットでも持ち上がってしまうくらい粘性が強くて、そのままでは塗りにくいし、細かい作業は無理です。
ということで、油彩画技法が確立したということは、「これらの問題がすべて解決された」ということで、500年も前に描かれた宝石のような油彩画が、今現在も私たちに感動を与え続けてくれているのです。
飛鳥時代・15世紀 時代を継承する「RT. painting medium 2022」


一部にメディウムの原料となる亜麻仁油の洗浄と精製工程も紹介しています。
(名画に学ぶ [ 油彩画技法ビデオシリーズ ])日本語字幕入り
実際にどのようなメディウムあるいは絵具を練る溶剤についてご紹介させて頂きます。
- 固形の二種類の天然樹脂を溶解したもの
- 粘性の強い天然樹脂(松脂)
- 植物性乾性油と重合油
- 植物性揮発油二種類(ターペンタイン+ラベンダーオイル)
絵具を練る時は(3)の乾性油が中心になります。
*メディウムとは、描画の際に絵具を薄めたり、意図する効果に合わせて処方された画溶液です。基本は液状ですがジェル状にすることもあります。
ペイティングメディウムについて 高橋亮馬を迎えて70分の長尺解説
高橋亮馬
油彩画技法と材料についてお話しできる数少ない専門家の方からのインタビューです。鳥越先生は、世界中の画家がエントリーする国際展の常連で上位を獲得されています。油彩画技法の伝統的スタイルを研究して新たな創造へと繋げていらっしゃる専門家中の専門家です。
松川先生は美大に入学するも「美術大学では美術を学べない」と判断して、ご自分で技法書や研究資料を世界中から集めてから、個々の情報を実際に検証されてこられて実践されています。私も博物館など絵の現場で分からないことがあったり、迷った時には必ずご相談させて頂くとても貴重な存在です。
*ホスト 鳥越一穂先生 *ゲスト 松川宜弘先生
*解説 高橋亮馬(奈良俵屋工房)
15世紀に確立された油彩画の技法が崩壊の危機に

15世紀に確立された油彩画技法は、16世紀にアルプスを越えてイタリアに伝わりました。しかし、その伝わり方にいろいろ問題があったようです。
当時の画家組合「ギルド制度」がありました。おそらく当時のフランドルには今日残る巨匠の数以上に工房があったと思われますが、この工房はいわゆる会社であり企業です。当然社内の技術や情報は社外秘です。例えばバイオリンのストラディバリ工房のようにニスの処方は門外不出です。規則を破れば処刑とかも、ちらっと聞いたことがありました。そういった事情もイタリアに油彩画の最も大事な情報や技術が、しっかり伝わらなかった要因かもしれません。
下の写真は、二十代半ばにそれまでに得た情報と経験を本にまとめた「裏側から見た絵画の世界*その構造と実態 (1988年 矢切書房刊)」です。この本を書くきっかけは、「油彩画の本来の姿」と、この後にご案内する「油彩画技法の崩壊~変貌」「物質的概念の大切さ」について知って頂きたかったことです。その移り変わりは、この本の写真資料でも分かりますが、内外の大美術館ならば容易に確認することができます。



右下が17世紀のルーベンス
それでは「15世紀のフランドル絵画の部屋」から「16世紀のイタリアルネサンス」「17世紀のネーデルランド方面の部屋」へとご案内いたしましょう。
こちらの部屋には、油彩画がイタリアで描かれ始めたころのルネサンス~バロックの初期の作品が展示されています。
先ずは部屋全体的な印象は・・
*同じ構造で同じ広さなのに部屋が急に暗く感じます
*どんよりとした重い空気になります
全体的に作品を見てみましょう・・
*展示作品の大きさが変わりました。中にはかなり大きなものもあります
*絵が土っぽく見えます
*色がくすんで(濁って)いるように感じます
*白の発色が冴えない。輝いていない。
*作品の広い範囲が暗い
作品の間近で・・
*長さ4-5mの作品の表面はゴツゴツしています
*絵具層も下地層も前時代よりも遥かに厚そうに見えます
*ひびや亀裂がある。明部の亀裂は特に深い
*最暗部にケロイド状のブツブツがある
*作品の四隅に放射線状の亀裂がある
*キャンバスが波打っている作品がある
*ニスが不均一に塗られている
次の部屋は油彩画技法の誕生の地であり、それから200年ほど経ったベルギー・ドイツ・オランダの画家の部屋です
先ずは部屋全体的な印象は・・
*前の―部屋と同じ構造だけど部屋がかなり明るく見えます
*どんよりとした感じというよりも、温かい感じがします
全体的に作品を見てみましょう・・
*中には大きな作品もありますが、イタリアに比べると全体的に小さくなっています
*赤が赤く、白が白くて、それぞれの色合いがはっきりと表現されています
*個々の発色が綺麗で、絵の表面も上品に輝いて見えます
*演劇の舞台のように、光と構図が作品の中で演出されているような感じです
作品の間近で・・
*手前にあるものは厚く、遠くにあるものや暗部は薄く塗られています
*前の時代に比べると、ひびや亀裂はほとんどありません
*顔料も他の材料の品質が良かったようで、歓迎できない画面の変質などはほとんどありません
*キャンバス作品の場合でも、布の伸縮などによる亀裂のほか、変質などはほとんどありません
*キャンバスが波打っていることも無く、どの作品もシャキっとしています
*ニス層は均一に塗られていて、艶もきつくなく柔らかく輝いています
取り急ぎ、こんな感じでご案内しましたが、博物館や美術館で実際に修復・復元・複製をする際の光学~科学分析、目視調査では、各時代や地域ごとの作品の違いを明確に知ることが出来ます。
油彩画の三大様式
私は、15世紀のフランドルの時代を「第一様式」。16世紀のイタリアの時代を「第二様式」と呼んでいます。
そして、それから約100年後に、もう一度アルプスを越えて北方ヨーロッパに戻ってからの約100年を「第三様式」と呼んでいます。
16世紀後半に生まれたルーベンスは、油彩画発祥の地で、厳格な伝統的技術を学んでからイタリアに渡り、レオナルド ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエル・・の影響を受けました。そんなイタリア時代を経て帰国したルーベンスは「第一様式」と「第二様式」を足して二で割ったような独自の手法を編み出しました。これが「第三様式」です。
その三つの手法を要約すると・・
「第一様式の明るい下地」→「有色地にすることでモデリングしやすくした」
「第二様式の暗色時」→「明部に第一様式の明るい下地(ファンデーション)を」
「第一様式の板中心の基底材」→「大作のために画布中心にした」
・・など、双方の良いところをミックスブレンドした合理的な技法を実践したことで「業界の肉屋」と揶揄されるほどたくさんの作品を描いて頻繁に出荷していたようです。
物質的概念と芸術的概念
繰返しになりますが、私は絵画表現には「物質的概念」と「芸術的概念」の二つの要素があると思っています。
前者は、描画材料に対する認識とそれを扱う技術で、後者は創造力やセンスです。
先ほどの「ルネサンス時代や印象派」の作品について批判的なことを書きましたが、この二つの概念を当てはめてみれば、ルネサンス時代の画家も印象派の作品には、優れた芸術性が満ち溢れていることは確かなことです。その一方で、例えば「油彩画には天然樹脂が欠かせない」「基底材には15世紀の画家たちが使っていた丈夫なパネルを使う」といった油彩画の技法ルールを守っていたら、ダ ヴィンチの「モナリザ」も、ルノワールの「アルジェの女たち」も、描かれた当時の美しい画面が今日でも見れていたはずです。決して批判しているのではありませんが、私は、先人たちのやっていたことのすべてが正しいとは思っていません。もしそう言うことがあれば、それは先達から頂いた課題~ヒント~教訓として、改善して次世代へと繋げていくものだとも思っています。
私の[高橋メソッド・技法教則本]は「過去を調べ直して再調整してから次世代に伝える」というのが編纂の目的のひとつでした。
とはいえ、その内容はシンプルではありますが、とても広範囲なものでもあります。ですので、大きくグループ分けしてから、細かく分類、そして、応用という流れで見ていきたいと思います。
油彩画作品の構造*人体に例えると

これまで「油彩画の画材と技法」について説明してきましたが、常に強調してきた項目がふたつあります。「絵具と基底材(支持体)」です。
15世紀の絵具は、乾燥後の塗膜に柔軟性と固着力をしっかりと維持できる成分で練られていました。そして、基底材には硬くて丈夫な「木の板」が使われて、さらに絵具が塗られる支持面には、絵具が沁み込んで根を下ろせる膠と白亜による「水性吸収地」が施されていました。実はこの地は、日本の漆工芸と同じ胡粉=炭酸カルシウムと膠で出来ています。冒頭で「油彩画の誕生は日本の漆技法がきっかけとなった」という説は、このへんにもあります。
さて、油彩画の作品を人体に例えると上の図のようになります。
先ずは骨格にあたる作品の土台となる基底材(支持体)ですが、丈夫さと保存性を求めるのであれば洞窟の壁面がお勧めしたいところですが、適当に切り取って持ち運びすることは困難です。それに代わるものとして選ばれたのが、油彩画の最初の基底材となった「板」です。これもまた漆技法と同様の組合せです。と同時に、漆技法の作品には、あまり大きなものはありません。その理由はいくつかありますが、実際問題として天然の板は反ります。大きな板に描くなら「板も厚くすれば良い」と、そう思いたいところですが、例えば、厚さ5ミリで4号-6号(ハガキ5-8枚ほど)の大きさ「吉野の檜」に膠や地塗りをすると、木枠に釘で止めても強力に反って、木枠を曲げるか、木枠から剥がれます。板を厚くして大きくすれば、反る力は倍増して修正が効かなくなります。その力は驚異的といっても良いほどです。また、日本は木の文化、ヨーロッパは石の文化と呼ばれるように木材資源は日本に比べるととても稀少であり貴重だったようです。そういった事情もあり、当時の作品は、小さい大きさの板に緻密に描き込む「細密画」が主流でした。

そんな中で、複数のパネルで構成された「ゲントの祭壇画 (Gents altaarstuk)」はとても珍しい作品です。一番大きな「神秘の子羊」の部分のパネルは約140×260cmくらい。一度、ベルギー王立美術館でS100号の板を見たときの厚みは7-8cmありましたが・・
*一枚板なのか
*合板~集成材なのか
*桟木が組み込まれているのか
仕事柄、裏側を見たかったのですが、どの作品も見れなかったので残念でした。
続いて、筋肉にあたる絵具層。油彩画は「油と顔料」によるものではない。と何度も説明しているのは、乾性油だけだと支持体との固着力や顔料同士の結合力が低下して遅かれ早かれビビや亀裂、剥離などの変質を起こす可能性が高くなります。この部分を筋肉と表現したのは、絵具層には半永久的な固着力と結合力、そして柔軟性とが必要です。そして、この柔軟性を維持するかなめとなるのが天然樹脂成分です。
最後の皮膚にあたるワニス層は、天然性の顔料と言えども化学的な組成がありますので、長い間、大気に直接接していることで、何らかの化学反応を起こす危険性があります。もっと簡単に言えば、埃や排気ガス、展示環境によっては煙草の脂や調理による油分などが付着します。ワニスの有無については、単刀直入に言えば、「人体の肉が皮をはがされた状態」といえば、あった方が良いか悪いかは自ずと答えが出ると思います。このワニス層の必要性は、まだまだたくさんあります。また、その作品~表現目的に合わせたその処方なども様々です。
ちなみに絵画技法の技術的難易度についてですが・・
*描く描画技術
*水性地塗り塗料の塗布技術
* ワニス塗布技術
難易度の高さは、下からでワニス塗布が最も難しい高度な技術です。そして、一番簡単なのが描画技術です。
油彩画技法の秩序
私は十代後半に、上野の画材店のご主人の浦崎先生から「油彩画技法の秩序」というお話をお聞きしました。品川区の中延から五反田で山手線、または、バスで大井町に出て京浜東北線で御徒町に行きました。出来るだけお客さんの少ない時間に千円の油を買いに行くときも必ず数千円の手土産を持って伺いました。理由は簡単です。美術大学では絶対にない画材や技法のお話をして下さるので、授業料にはなりませんが、ささやかなお礼のしるしでした。
浦崎画材店を知るまでは、蒲田や大井町の画材店に行っていましたがキャンバスの品揃えはどこも一緒で、店員さんに「吸収性」とか「水性地」とか聞いてもさっぱり通じません。一方、浦崎画材店には、ベルギーのラガエ、フランスのベルジ、イギリスのニュートン社のエマルジョンキャンバス、最新のキャンバスに「セザンヌ」が入荷。とか、ワクワクする品揃えでした。それと、先生に勧められたアルキド系のベルニ ア アンコロール(シェルファン⁈)と油性タイプの非吸収地のセザンヌのキャンバスを買って、直に絵を描きました(箱根の芦ノ湖と九頭龍神社・18-19歳頃)。共に最新の製品なので堅牢性は確かなものだと思い、浦崎先生をはじめ絵の先生方にもお見せしました。しかし、数か月後に固着力を確認すると、絵具層が簡単にヒビ割れするし剥がれてしまったことに驚きました。
「これで描いた作品を実際に購入してもらってから、自分の手元から離れてから、こんなことになったら大変」だと思いました。
そういえば、ルーベンスの作品には、コレクターのための「取説」もあったそうです。絵画作品も自動車や家電と同じように品質保証が必要です。
と同時に、このキャンバスとメディウムは、最初から「絵具を剥がして何度も使えるキャンバス」として売り出せばいいとも思いました。
早速、先生に報告すると、奥の部屋から「これを見なさい」と新聞の切り抜きを見せて下さいました。
「○○画伯の作品が輸送中に剥離・・画伯は、運輸会社と画材メーカーの責任」と訴えていましたが、確かに双方にも責任があると思いますが、先生も私も「これって画伯の認識不足」というのが共通意見でした。
そのころから僕の画材への問題意識が爆発しました。
そして、それからが大変でした、特に驚いたのが読めるはずがないドイツ語のカタログを見て「これだ」と思って見たことも聞いたことも無いバルサムや乾性油を翌週にはミュンヘンに行って買いに行ったり・・。スーツケースの中身は衣類など全くなく明らかに怪しい「白い粉」と「樹脂」ばかりだったので、出入国の際は、ミュンヘンでは7-8名の麻薬Gメンに別室に連れて行かれ尋問(Dr.Kremer先生が迅速に対応して頂き丁重な謝罪を頂いて出国することが出来ました。僕がドイツ人だったら絶対に検挙されていましたが、クレマー博士の法解釈で助けられました。流石にドイツだなと思いました)。絵具練りの試作処方は1000種類以上、メディウムの処方は40年間同じ処方はせずに改良してきました。ドイツから輸入した数百の画材はすべて検体として調査と実験を何度も繰り返しました。
・・・このころから、15世紀のフレマールの画家(カンパンだと思う)やラファエル先生たちが降りてこられたような感じです。冗談ではありません。

油彩画技法はイタリアで爆発的に広まる
アルプスを越えてイタリアに伝わった油彩画は、それまで厳格な手法のフレスコ画やテンペラ画を描いていた画家たちを虜にしました。それまでの技法では考えられない朝描いたところを夜になっても翌日でも描き足したり、あるいは剥がして塗り直したりできる自由奔放(誤った認識)、魔法のような技法として急速に広まったようです。ミケランジェロやレオナルド ダヴィンチの時代からです。ルーブル美術館でも、この時代から作品数も多くなり絵も大きくなり、館内も一気に賑やかになります。
*フレスコ画は決められた部分を湿らせて乾かないうちに彩色して仕上げます。テンペラは水性の場合、塗布後間もなく乾くので画面上での「なめし・ぼかし」といった調整~修正が難しい~困難です。一方の油彩画技法はとても柔軟性がありますが、かといって「何でもあり」というものではありません。現に当時の油彩画の多くが現存していないのです。つまり傷んだり壊れたり・・で保存されなかったのです。
上の作品は、当時のキャンバス作品としては特別に大きい作品です。実物を見ると布の繋ぎ目も見えたりして「ちょっと」と思ったりもしました。おそらく描かれた当時は、このような繋ぎ目は、さほど気にならなかったのかもしれませんが、油彩画は下層の描き直しなどがあると、遅かれ早かれ表面に現れてくるものです。そこからも画家の技術や感覚が露呈しますし、作品のハーモニーや品も乱れてしまいとても残念な状態になってしまいます。
「大きい絵を描きたいな。何に描こうか」
「木が無ければ帆船のマストはどうかな」
イタリアのどこかのレストランでそんな会話があったのかもしれません。
油彩画の秩序の崩壊
絵画芸術には「芸術的概念」と「物質的概念」の二つの要素があると書きましたが、最初にはっきりとしておきたいとこは、ここでいう「秩序の崩壊」とはあくまでも「物質的概念」つまり材料に対する認識、扱い方、技法上のルールということです。
西洋絵画の歴史は、ルネサンス、バロック、ロココ、印象派、現代・・といった流れがありますが、「芸術的概念」といった面では、素晴らしい進化・進展を遂げていると思います。その一方で「物質的概念」はとどうでしょうか。
怒られるかもしれませんが最初から少し過激な表現で解説していきたいと思います。
例えば、美しく立派なお城が二つあるとしましょう。
*ひとつは「熟練した職人が、優れた技術と良質な建材で作ったお城」
*もうひとつは「建築家ではない素人が、取り急ぎ材料を集めて作った一見綺麗で立派なお城」
前者は、千年以上前に建てられた奈良の法隆寺や正倉院のような建物です。
後者は、僕のようなお父さんが段ボールとペンキを駆使して子供に作ってあげた工作で、人が入ったり住んだりできない非実用的なものです。
もし、読者の方が油彩画をやられているとしたら、ここで注視して頂きたいのが、15世紀から次の時代になって作品構造図の「骨格」にあたる基底材が変わったことです。
それまで板に布など貼られた丈夫な基底材から、グニャグニャした布に変わったわけです。絵具層にとっては、湿度の変化での伸縮、移動時の衝撃など、それまでとは異なった問題が加わったのです。そして、その問題は、現在も変わらず続いています。
とはいえ、画布は私の工房でも取り扱わせて頂いていますが、パネルと布の違いなど認識し、絵具層とのバランスなどを最大限に考慮すれば、大半の問題は回避することが出来ます。また、近年では柔軟性や強度が心配な木綿=コットン~化繊混紡も使われるようになっています。「麻布よりも安価」や「先生とかみんなが使っているから」などの理由からかもしれません。用途に応じているのであれば問題ありませんが、その作品の将来を考えれば、丈夫で質の良い画布の使用をお勧めします。
それでは「厳粛なプリミティブの表現から、ルネサンス時代になると人間的で優美、華やかになったのに、どうして作品自体が不健康になったのか・・」
「どの辺が問題なのか・・」
これもまた繰り返しになりますが、例えば・・
①天ぷらの繋ぎくらいに小麦粉を溶きます。
②これを二種類の基底材、すなわち「板と画布」に刷毛で薄く塗ります。
*場合によっては、油彩画と同様に、一層目が乾いたら、もう一層塗り重ねれば説明にも一層現実味が増します。
③乾いたら画布を折り曲げてみます。もう一方の板は、折り曲げられません。
結果は如何に・・
⇒布の方は、簡単にパリパリ割れて剥がれます。
⇒板の方は、曲げられないので、とりあえずそのままです。
実際の油彩絵具では、粉(顔料)を絵具状ににするのは水ではなく油なので、こちらの例からすると、固着力や接着力は格段に良いわけですが、乾性油と揮発油だけの場合は、遅かれ早かれ柔軟性や固着力、さらに専門的に説明することもできますが、要は現在のモナリザのように、とても「もろい」状態になってしまいます。これに加え、キャンバスの表面だけでなく、ほとんど保護されていない作品の裏側、数百年も大気に晒されたままの生地もとても心配です。
もう一方の「板」はどうでしょうか。支持面が吸収性ならばしっかり固着したままです。
ある時、兄がサーフィンボードを修復している時に、グラスファイバー製の布を貼りながら樹脂を塗っているところを見ました。「あ、これだ」と思い、木板に膠を沁み込ませてから布を貼り、その上に水性地塗り塗料を塗る方法でパネルを作りました。この方法は日本の漆技法と同じ構造であることを大人になってから知りました。食器にもなる漆技法ですから、当然丈夫なはずです。また、この構造は基底材を丈夫にするだけでなく、木部の変形や変質から絵具層が直接影響を受けない絶縁材の役割もあります。さらに、もしその作品の木部が腐食したり存続不可能になったときは、板と布を貼り付けた接着剤は水溶性のため、修復用のスチームで容易に剥がせます。逆に「布の上の地塗り塗料」も水溶性なので、スチームで布から絵具層を剥がすこともできます。そして、新たなパネルや布に、オリジナルの絵具層だけを貼り合わせる修復術が出来ます。
*私は科学的にも証明される前から、自分の判断で板に布を貼る方法でパネルを作ってきました。絵の教室での指導でも行っていました。とはいえ、まだ科学的に実証されていない当時は、同業者からも馬鹿にされていたようですが、たとえ、古い時代の画家たちがこの方法をやっていなかったとしても、「丈夫な基底材」「作品の恒久的保存性」「効率的な修復術」の獲得に寄与する方法として実践していました。
基底材に何らかの処置をして実際に描けるようにした状態を「支持面~支持体」と言い、英語で「support」と言います。つまり、絵具層を支える部分ということですので、できるだけ丈夫でありたいということです。
描く人は往々にして「描きやすさ」と「安さ」を求めます。
絵具メーカーは「画材店の棚で何年も置いておいても品質が変わらずチューブの中で固まらない絵具」と「コストを抑えた絵具」を作ります。
そのような中で絵具たちが、キャンバスやパネルに塗られた時に果たしてどんな気持ちでいるでしょうか。
いろいろな問題を抱える美術館の名画に触れてきた経験から私が代弁してみましょう・・
■「描きやすくするために揮発油を多用されたことで・・」
そもそも市販絵具の結合力の弱いところへ、揮発油でさらに薄められたことで固着力が失われて、キャンバスにへばりついていることがとても大変です。
遅かれ早かれ剥がれるか亀裂が出来ます。
■「早く乾くように乾燥材をたくさん使われたことで・・」
急速な酸化作用で絵具が縮んだり、ひびが入ってしまいました。とても醜い絵になってしまいました。
■「ワニスは面倒だし艶出しも古臭いので、ということでワニスを塗らなかったことで・・」
絵具も揮発油の乱用でコーティング成分がほとんどなく、まだ完璧とは言えない当時の化学顔料が大気に直接触れて様々な化学変化を来していてとても辛いです。皮膚層を与えられなかったので、肉がむき出しのままです。当然画面は傷む一方です。
■「チューブ内で固まらない絵具は、チューブから出して、そのままで塗ってもちゃんと固まらないので・・」
市販絵具を使う場合は、作品の堅牢性を求めるのであれば、様々な方法がありますが、せめて乾いたら堅牢性の高いメディウムを使って欲しかったです。
チューブ内で固まらないでほしいのは絵具メーカーと画材屋さんだけです。私たち絵具は、しっかり空気を吸ってしっかり固まりたいのです。でも、絵具メーカーは、私たちのことなど考えないで製品を作って売っています。なので、使う人がどうにかしてくれないと、私たちにはどうしようもなく、いずれ力尽きてキャンバスから剥がれ落ちる運命です。
■「増量剤や添加物、安価な顔料を多用した絵具は・・」
そもそもそのような発想が出てきた時点で、その絵具に素晴らしい発色を期待することは出来ません。なので、その作品に品なども備わりません。
粗悪な材料で作られた安価な絵具だけでなく、良くない画材は、見る人が見ればすぐに分かります。絵を通じてそんな評価が下されれば、同時に作家への評価にもつながるでしょう。
【総括】日本ではレオナルド ダヴィンチの時代のイタリア・ルネサンスやルノワールなどの印象派などの展覧会には、大勢の来館者が押し寄せて大人気ですが、私たち絵師の現場から見ると「いつ絵具が剥がれてしまうか分からないモナリザ」や「ルネサンス時代以降の作品に見られる、画面の亀裂や変質」「絵具の退色が止まらない印象派の作品」といった印象の方が強いです。これは決して作家や絵の批判をするものではありません。そもそも油彩画はとても丈夫な技法です。この技法の本来のやり方を知っていれば、様々なアクシデントの大半を回避することが出来ます。油彩画作品本来の不変性~保存性が保たれていれば、15世紀の作品のように、昨日描かれたかのように美しい発色と輝きが、今日の私たちにも見せてもらえたのです。そう思うととても残念だと、皆さんも思いませんか。
本来の油絵は「油」絵ではない

油絵と呼ばれるようになったのは、いつの時代からなのでしょうか。日本で最初に油絵の指導が始まったのは梅原さんという方からと聞いていますが、この方の作品は恐らく油絵だと思いますが、そもそもの油彩画技法は「顔料と油」ではなく「顔料と天然樹脂(助剤的に乾性油)」です。この方は、ルノワールのアトリエで油絵を学んだと聞いていますが、油彩画の歴史から一連の流れからして、ルノワールが油彩画の技術、技法そのものを教えることは不可能だったと私は判断します。
話がそれますが、油彩画の歴史は大きく二つの時代に分けられます。
①「工房時代」「工房が無くなってしまった時代(個人制作)時代」
②「職業として工房の親方について修業できた時代」
「工房で学べなくなり、学校でも指導者がいなくなってしまった」
③「工房で画材を自製していた時代」「絵具メーカーによる市販品を使いだした時代」
二つの時代へと移り変わる時期を、実際の出来事から説明すると
■シャルダンのアトリエの一階に画材店が出来てから、シャルダン自分で絵具を練らなくなった頃
■ダビッドの工房で修行したアングルとドラクロワの時代
■樹木の緑を、天然のラピスラズリとイエローオーカー、ベルデグリ、マラカイトではなく、化学合成されたクロームグリーンやビリジャンを使い始めた時代
■コロー~ターナーの時代
*このへんについては、実際の美術館でご案内するとはっきりと時代の流れ~変貌を確認することが出来ます。
以上のように分類しましたが「だから何なの」「絵が良ければいいじゃん」かもしれません。
何度も繰り返して恐縮ですが・・
*基底材が、丈夫な木製から柔らかい布に・・
*結合力・固着力・柔軟性に欠かせない天然樹脂とバルサムの排除
たったこれだけのことですが、まず最初に油彩画技法の崩壊が、15世紀と16世紀の時代にあり、それに追い打ちをかけたのが、フランス革命など特権階級の崩壊によって、絵の需要も急速に少なくなり、見習い職人から、いずれ独立し得る技能を確実に身に着けることが出来た工房も無くなってしまったこと。画家を志したその後の人たちは、突然、学びの場を失ってしまったこと。加えれば今の時代はその頃から始まっているということです。
油彩画の構造を図解する上で当初は、筋肉ではなく「肉体」と表記していました。それを筋肉としたのは、伸びたり縮んだりの「伸縮性」が絵具層にも必要だからです。
そして、それを可能にするのが「天然樹脂とバルサム」という成分なのです。
樹脂油彩絵具、すなわち「レジン オイルカラー」Resin Oil collarです。
高橋メソッドの[油彩画技法教則本]=調べ直して再調整したメソッド
絵を学び始めた頃に「油絵入門」「油彩画の描き方」といった本も何冊か購入してみましたが、自分が知りたいことは全く書かれていませんでした。
漢字が読めるようになった頃に国立大学の先生が翻訳された二冊の本を紹介してもらいました。日本二大技法書のような感じで賞賛されていて結構高価でしたが、頑張って二冊ずつ買いました(一冊はメモ記入用)。早速、解説に従って生キャン(麻布生地)からキャンバスを作りましたが、夜も更けてきたころに二階の神殿の方から「みしみしみし」「ぎぎぎぃ~」と音が「いよいよ出たか」と思ったら、物凄い音がしてから止まりました。恐る恐る見に行くと膠引きした50号のキャンバスの木枠が折れていました。
今になってはこんな失敗は絶対にありえませんが、一度は「技法書に従って経過と結果を見てみよう」との発想でしたが、いきなり出鼻をくじかれました。当時、ベルギーのラガエ社の生キャンは、木枠と共にとても高価だったので、使えなくなったことは、貧しい画学生にとっては大きな痛手でした。
技法書には「誰々によると」「**といった説もある」「定かではないが**」、酷いものになると「科学的根拠はないが」とか、まるで567ワクチンと同じような記述が満載でした。中でも印象に残っているのが「乳香は、近所のギリシャの雑貨店に行けば容易に入手できる」とあり、近所には無いので東京中を探しましたがギリシャの雑貨店はありませんでした。それと、画材店の老舗に行けばあると思って「乳香を下さい」と言ったら睨まれました。隣の漢方薬屋さんに行ってみなさい。とのこと。これも誤訳です。それからしばらくして、海外の専門家の方が翻訳前の原書をメッセージを添えて送ってくださいました。
「あなたが指摘されるように内容の多くが誤訳もしくは、実際の絵の現場を知らない著者と、絵の素人の翻訳者によるもので、間違いだけでなく用語も言い回しもメチャクチャです。なのであんなに分厚い本になってしまっているのです。原書はこのように週刊誌程度です」。
とはいえ、ほとんどのことを実験なども通じて確認したので、多くの間違いや失敗から得た発見と経験は、大きな財産になりました。また別の意味でこれらの技法書と著者の方に感謝しています。
昔のやり方のすべてが正しいとは言えませんが、レオナルドダヴィンチがミケランジェロに対抗して「壁に描いた油彩画の前で早く乾くように火を焚いたり」。アングルが油彩画の特長としての黄変を配慮をしていたにもかかわらず、ドラクロワを高く評価していた当時の文学者たちから「古い」とか「人物の肌色に生気がない」と批判されていたことなどについては、それは決して失敗ではなく、新たな試みであり挑戦だと賞賛すべきことです。しかし、古い時代の作品~印象派の大半の作品は、薄い画布の使用やビチュームなどによる画面の変質、不純物による絵具の変質、近代では、乾燥材の使用・ワニス未塗布・市販のキャンバスをそのまま使用・樹脂成分を含まない絵具とメディウムの使用による作品の変質など多くのアクシデントを抱えています。私たち修復家たちは「こうすればよかったのに」「地塗りは水性地かエマルジョンを使えばよかったのに」「メディウムにあれを少し足しておけばこんな亀裂も剥離も起こらなかったはず」「ワニスの艶が嫌いだったら、艶ナシのワニスを使って画面を保護すればよかったのに」と、先達の作品の深部に触れるたびにそう思うのです。
過去の失敗や過ちを、そのまま受け継ぐことは、とても愚かなことです。結果には原因があります。その原因を知れば、対策方法は必ず見つかるのです。
それをまとめたのが「高橋メソッドの油彩画技法教則本」です。


私たちは何をどうやって学べばよいのか
その答えは、美術館の名画にすべて込められています。
クラッシックにドイツ三大作曲家のベートーベン・バッハ・ブラームスの「3B (スリーベー)」があります。
油彩画の世界に置き換えると「ファンエイク(V)・ティツィアーノ(T)・ルーベンス(R)」私はこれを「VTR」、油彩画三大様式と呼んでいます。
第一様式は、15世紀のファンエイクの時代で幹の根本です。それから、16世紀のティツィアーノの時代に新たな枝ができて、17世紀のルーベンスがもう一つの枝を作りました。
その後の表現方法は、この三つのどれかの様式に帰属するものです。
例えば近代で特徴のある表現としてキリコや藤田嗣治の地は第一様式系です。また、画材と技法研究家のグザビエ ド ラングからアドバイスをうけてから名声を得たラウル デュフィーの色彩表現は第一様式系です。さらに私が師事した某財団所蔵作家の下地は「アルタミラやラスコーの壁面」を模した上にレンブラントの手法で仕上げたものです。
このように、絵画表現は、知れば知るほどに無限の可能性に満ち溢れています。
絵を始めた小学三年生の時の話になりますが、絵をやっている方や、当時のNHKのドラマにもなっていた有名な画家に、ベラスケスやレンブラントの模写を見せると・・
「模写などもってのほか」「個性を失う」「物真似」「古臭い」・・との批判~罵声をよく頂きました。そういった意見や評価は三十代後半くらいまで続きました。
今もあまり変わらないと思いますが、初心者の入門者に油絵セットを与えて「この静物を個性豊かに描きなさい」というのが、大半の絵の教室のやり方ではないでしょうか。医療の経験も無く、基礎も知らない人に「個性豊かな手術をしなさい」とか、いきなりバイオリンを渡された人に「あなたらしい濃い豊かな作曲と演奏をしなさい」と一緒ではありませんか。そんなの無理ですよね。諸芸諸学も武道も料理も・・すべて物真似から始めませんか。
合理的な絵の学び方に特殊な要素は全くありません。音楽や書道と全く同じです。手本や規範となる技術を真似ることからです。
【付記】「高橋メソッドは美術大学を卒業してから、ちゃんとした絵の勉強をしたい人が行くための美術学校」これは、芸大の大学院を卒業された方が、美術大学受験の予備校の生徒さんや同僚を通じて広まったようですが、そもそも高橋メソッドは、上野の芸大の隣に芸術大学を作る目標でやっていました。
実際の現場から油彩画の学び方について
私が指導する絵の基礎の中に「個性」とか「感性」という言葉は全く存在しません。むしろ学ぶ側の「個性と感性」は、基礎を指導する側にとっては邪魔です。
「私は美大出ではあません」「絵の経験はほとんどありません」・・それでも大丈夫でしょうか。面接時に良く聞くお話です。
実はこれは逆で「美大受験のための絵の勉強を通じて美大で数年間絵をやられた方」や「前述のような教室に何年も通っていた方」の方が明らかに教えにくいのです。
例えば、鉛筆の削り方~持ち方から変えないといけません。つまり、入門当初にやらなければならないことは、それまでの経験ややり方のリセット~フォーマットをことなのです。ですので、余計な経験のない方の方が、教えやすいし、学びやすいのです。まったく絵の経験がない小中学生の方が、遥かにスムースに上達する所以です。
「教えられない感性や個性を教えるのではなく教え得られることを教えること」
「学び得られないことを学ぶのではなく、学び得られることを学ぶ」
・・これが高橋メソッドの方針です。
それでは表題に関する結論ですが・・・
ファンエイクに4年、ティツィアーノに2年、ルーベンスに3年、ちょうど日本の義務教育の期間になりましたが、こんな感じで師事してもらえたら、現代の最強の画家になれると思います。
今はやっていませんが、僕の絵の教室ではこんな感じで指導していました。
皆さん凄いですよ。僕よりも有名になっている人も沢山いますし、絵で稼いでいる方もちらほら・・
僕の指導コンセプトのひとつは「学費を回収できる絵画技術の提供」でもあります。
最後に・・
絵画は材料を組み立てて表現されます。
その組立て結果がバランスよく優れているのが名画と呼ばれます。
それは、音符を組み立てる音楽家の仕事にも似ています。
その組立て結果がバランスよく優れているのが名曲と呼ばれます。
奈良俵屋工房の髙橋が奥大和より
ご案内させて頂きました。
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